伝えたいことは伝えられないし、伝えられることはつまらないし

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 ここ数ヶ月くらいずっと憂鬱である。そしてその原因がわからない。いまの自分は仕事(アルバイト)も楽しくて、時間はたっぷりあるし、お金もそれなりにある。友達もいて恋人もいる。にもかかわらず、心が何かを渇望している。常に満たされない思いに苛まれている。

 よもや自分がこんなに贅沢な悩みを抱える日がこようとは思ってもみなかった。今年はいろんなことがびっくりするくらいうまくいって、初めて人生が好転したと思えるような年だった。はずなのに、いまこうして今年もあと2ヶ月になって、振り返ってみると何一つ実りがあったような気がしない。

 こうして文章を書いているのもほんとうはいやいやである。僕はいままでたしかに文章を書くことでさまざまな葛藤をどうにか自分という存在の一部として組み込んできた。その経験則に基づいて、今回も頭を抱えながら無理矢理にでも言葉を連ねてみている。

 しかし、以前はもっと自分のなかの曖昧模糊とした感情をたやすく言語化できていたような気がする。さして行き詰まることなくすらすらと言葉を紡げていたはず。それがだんだんと、頭の中でイメージとして表現することはできてもそれを言葉にするのが困難になってきた。

 それはひとつには、僕があくまでひとりの人間として、僕ひとりの人生を僕ひとりで歩んできて、その結果たどり着いた現状を表現する言葉が、万人のための言語のなかにはないということではないかと思う。けれど、これも自分で自分が何を言っているのかわからない。

 頭の中にはこんなイメージがある。たとえば、真夜中にふと思い立って車を走らせる。向かったのは夜の帳が下りた港。周りには灯りひとつなく、人っ子一人いない。ただ闇の向こうから寄せては返す単調な波の音がまるで手招きしているかのように不気味に聞こえるだけ。そこで堤防に腰を下ろす。腕で自分の身体を前に突き出してしまえば最後、誰にも気づかれずに海に転落して溺れ死ぬ。そんな状態のまま何時間もぼんやりと暗闇を見つめ続ける。

 このイメージを頭の中で思い描くとき、僕の気持ちはすこし和らぐ。なぜなのかはさっぱりわからない。イメージの中での自殺みたいなものかもしれない。完全な無に抱かれ、悩みも苦しみも何もかも手放してただぼんやりと存在していたいという憧れかもしれない。

 やっぱりいちばん伝えたいことはどうしても伝えられない。かといって、伝わることばかり話そうとしても、伝えられることはどうにもつまらない。まったくもって八方塞がりで、どうにもならない。だから眠る。眠っている間は何も考えずに済む。