「#ファインダー越しの私の世界」とかいう糞ハッシュタグ

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二眼レフ)カメラ女子

 まず、この世界はどう間違っても「お前の」世界ではないから安心して氏んでください。

 このハッシュタグ使ってる奴らから感じるのは、被写体に対するリスペクトのなさ。「私の」世界という言い方からそれをひしひしと感じる。この世界はあくまでも「私の世界」であって、「私」の素晴らしさ、可愛さ、センスの良さを人々に知らしめるための道具でしかないという傲慢さが露呈している。

 僕は、カメラをやる者としていちばん大切なのは、被写体に対するリスペクトだと考えている。人物を撮るときは当たり前すぎるので言うまでもないが、無機物や風景を撮るときも同様である。

 それらのモノたちは決して写真に撮られるためにこの世に誕生し、存在しているわけではない。まして、撮影者が自分のセンスを見せびらかすために存在していると考えるなど言語道断である。それは、撮影者が主で、被写体が従という考え方になってしまっている。

 しかし、事実は真逆で、被写体こそが主で、撮影者は従に過ぎないのである。なぜなら、その被写体が存在しなければ、写真など撮りようもないからである。実に簡単な話だ。

 そして、どれだけ腕の立つ撮影者であっても、被写体に魅力がなければどうしようもない。仮に、被写体の「隠れた」魅力を引き出した結果、優れた写真になったのだとしても、それはあくまでも最初から被写体に備わっていた魅力を引き出したというだけのことであって、撮影者の力量は副次的なものなのだ。

 だから、写真を撮る者というのは、撮らせてもらっている者なのだということを忘れてはいけないと思っている。私のものではないこの世界に、美しいモノが存在しているからこそ、美しい写真を撮ることができる。そのことへの感謝の念を忘れることなく、ただひたすら、「被写体の美しさ」を世界へと紹介しなければならないという思いから、写真を撮る。

 その点、「#ファインダー越しの私の世界」などという激寒ファッションタグを使っている連中は、ともすると、自分のおかげで被写体に美しさが付与されたのだなどという勘違いを起こしているのではないだろうか。

 そういえば、このハッシュタグを使っている奴らは、あまり人が撮らないような風景を写真に収めていることが多い。そして、「他人が見落としているものを自分なりのやり方で切り取る」とかなんとか、おなじみ自分は他人とは違うんだ症候群患者の典型的症例を示す。うん、虫酸が走る。

 それから、良い写真を撮るためなら何をやってもいいと思っている奴は論外だからほんとうに死ねばいいんじゃない? この類の人間は、心底から、世界や他人は自分の優秀さを表現するための道具でしかないと思っている、手の施しようのない愚か者だからね。