いちばんになりたがる女の子の話

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 僕のバイト先には子どもがたくさんくる。子どもというのはまだ型にはまっていないから実に個性豊かである。生まれたままというと変だが、まだ自分を客観視して社会に適応しようとなんてしないから、言ってみればひとりの人間の原型が唯一あらわれている時期とも言えるかも知れない。もちろん、子供の成長は早いから、そんな原型は早晩跡形もなく姿を変えていってしまうだろう。大人にとってそれは嬉しくもあり、また寂しくもある。

 さて、バイト先にやってくるアンファン・テリブルたちを対象にしたワークショップがあって、僕はその講師をしている。平たく言うとものづくりをする教室なのだが(そんなたいそうなものではなく、30分もあれば終わる)、こういう作業というのは非常にはっきりと個性が出てくるものである。

 年齢に似合わないものわかりの良さを見せる子もいれば、正直いらいらしてしまうくらいに不器用な子もいる。それ以前に落ち着きがなさすぎて手に負えない子もいる。他方でまったく口を利かない子も、もちろんいる。ちっとも喋らないなあこの子は、と思っていたら、完成するやいなや心底から嬉しそうな声を上げることもあって、そういうときはやはりやりがいを感じる。

 そんな中で、昨日はちょっと変わった子に出会った。

 その子はなぜだか知らないが妙に僕に懐いて、工程を説明するたびに「こう?こう?」と僕に確認を求めてきた。そのようすがなんとも子供らしからずコケティッシュで、この子は大丈夫なのだろうかと勝手に行く末を案じたりしていた。でも率直に言って僕はやたらと絡んでくる子どもが基本的に苦手なので、うまい具合にやり過ごしていた。

 だが、ある工程を説明し終わって、子どもたちがそこまでたどり着くのを待っていると、例によってその女の子が「ねえ、できたー」といって見せてきた。僕が、じゃあ待っててねと適当に返すと、「ねえ私いちばんだった?」としつこく聞いてくるのである。最初のうちは聞こえない振りをしていたのだが、答えるまで聞き続けてくるので仕方なく、さあどうだろうねーとか、いちばんだったかもねーとかはぐらかすのだが、それ以降その子はひとつひとつの工程が終わるたびに、「いちばんだった?」「いまのは私がいちばんだった」「あの子よりはやかった」などと逐一言ってくるのである。

 いちばんに対する執着心の強さにいささか面食らっていた僕は、どうしてそんなにいちばんになりたいのかと聞いてみた。すると、彼女はこういった。「だって、いちばんになったら嬉しいから」。最初僕は、親が厳しい人で「何においてもいちばんを目指しなさい」というような教育でも受けているせいでそんなふうになったのかと思っていた。だが、「いちばんになったら嬉しいから」と言うときの彼女の屈託のないようすから言って、どうもそうではなく、ただただ純粋に、いちばんに「なりたい」のだろうと思った。

 ワークショップをやっているといろんな子どもがいて、中にはちょっとコイツはどうにかしなきゃいけないだろう、という厄介者も当然いる。しかし親の目の前で子どもに注意したりすれば、もっと厄介なことになりかねない。だからどれだけ目に余る子どもがいても基本的に知らんふりを決め込むことにしている。今度もそうするつもりだった。もし親が「いちばんを目指す」ことを至上とする教育方針なのであれば、それを真っ向から否定するような価値観を僕が教えてしまったら、あまり愉快ではない事態になるだろう。

 それでも、これでも20年のあいだ人生というものをどうにかやり過ごしてきた身として、こうまでいちばんに執着するようでは先が思いやられるなあと、どうしても見過ごす気になれなかった。とはいえ、他の子どもも参加しているのだし、あまりかまっているわけにもいかない。だから、あくまでもそれとなく、もしかしたらいつか今日のことを思い出すかも知れないことに期待しながら、「いちばんになんてならんでもええねん」などと言ってみた。そう言っても、やはりその子は腑に落ちないようすだった。それでもいちばんが良いんだと。

 内心、隣で見ている母親がどう反応するか気がかりだったが、とくになにも言ってこなかったし、むしろ母親も、「(いちばんになるより)きれいに作るほうが大事やで」みたいなことを言っていた。それで調子づいた僕は、完成してからこういうやりとりをした。その子は、ずっと競っていたらしい子よりも遅く完成させたのだ。

 「どうや、きれいにできたか」「うん、きれい」「でも、いちばんじゃなかったで」不服そうな顔をする女の子。「でもきれいやろ。いちばんになんかならんでもええねん。きれいにできたんやったら」

 僕はいままでの短い人生でいちばんになったことなどほとんどない。彼女も、やがては気づくのだろう。この世の中では、たとえどんなに小さなことでも、いちばんになるということは恐ろしいくらい難しいのだということに。だが僕は、いちばんになるよりももっと素晴らしいことがあるのも知った。いちばんになんてならなくても人は幸せになれるのだと気づいた。彼女はどうだろうか。いつか僕のように、いちばんになることだけが人生じゃないと悟ることができるだろうか。それとも、いつまでもいちばんへの妄執を捨て去ることができず、後には引けぬ血みどろの闘いを続けて最後には打ち崩されてしまうだろうか。自分の力だけで作り上げた完成品を見つめる彼女の顔からは、どちらとも予想できるような気がした。

 親子が施設から帰っていくとき、僕は軒先の花に水をやりながら、ナンバーワンよりオンリーワンと言っていた歌のことを思い出して、あまりに安直な連想にわれながら滑稽だと思った。しかし、たとえナンバーワンになることは不可能だからという消極的な理由であったとしても、それでもオンリーワンに価値を見いだせるように、私たちはぜひともならなければならない。

 沈みゆく夕日に照り輝く道路を、母親に手を引かれて去っていく小さな女の子の後ろ姿を眺めながら、僕は静かに彼女の幸せを祈った。そして、きっと彼女に二度と会うことはなく、したがって彼女の行く末を決して知ることはできないという事実を思って、少し悲しくなった。でもそれは良いことなのだ。未来には希望もあれば絶望もあるだろう。僕には、僕一人の希望と絶望でじゅうぶんなのだ。他人の希望や絶望に一喜一憂していては身が持たない。だから僕は静かに祈り続けて、やがて彼女の小さな影は光の中へ吸い込まれていった。