人殺しになるのは実に簡単だという話

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 このニュースを読んだ。またか、と思った。運動部というのはいつまでこんな愚かな事件を起こし続けるのだろうか。これまでも酷暑のなかで無理やりハードな練習をさせたりあまつさえ水分をとらせなかったりして、重大な事故に発展したことが何度もある。そのたびにニュースにもなってきた。にもかかわらず、未だにこんな事件が起こる。本当に腹立たしい。

 はじめに言っておくが、僕は運動部というものが大嫌いである。ついでにスポーツ界も嫌いである。スポーツ「界」というのは、スポーツを取り巻いている人間や環境が嫌いということである。べつにスポーツ自体には善いも悪いもない。ただ、概してスポーツのプレイヤーやコーチをやっているような連中とはどうしても反りが合わない。できるだけかかわりたくないと思っている。

 スポーツをやっている連中は往々にして自信過剰で、またナルシシストであることが多い。世の中のことは個人の努力でだいたいなんとかなると盲信しており、人間の感情的な機微のようなものはまるでわかっていない。その場のノリを何よりも重要視するものの、情緒や興趣といった繊細な空気を感じ取ることはできない。粗野な奴ら。

 運動部が嫌いなのは個人的な経験にもよるところが大きい。だが、たとえばこのあいだのアメフトの危険タックルのような事件を報道で聞き知るにつれて、ますます嫌いになっていった。努力や勝利といった美辞麗句の名のもとに非人間的なことが平然と行われている場所、それが僕にとっての運動部のイメージだ。

 そして当時いちばん気に食わなかったのは、運動部以外の生徒に対するある種の蔑みみたいな視線である。まあ、それにかんしては僕も運動部の生徒を心の底から蔑んでいたからおあいこであるが。それにしても、運動をやらずんば人に非ず、みたいな学校の風潮はほんとうに気持ち悪かった。

 ちょっと脱線しすぎた。

 さて、今回取り上げた記事を読んで思ったのは、世の中の多くの人は、人間というのはそう簡単には死なないと思い込んでいるのだろうな、ということである。しかし事実はまったく違うのである。人間もけっきょくは生き物なのだから、場合によっては非常に脆い。酷暑のなかで無理に活動したら死に至る恐れは十分にある。ろくに休みもせずに働き続けたら突然ぶっ倒れて二度と起きないこともある。交通事故や通り魔などはべつとしても、突然人が死んでしまうということはあり得ないことではない。

 だがそれをわかっていない連中(たとえば運動部の顧問、ブラック企業の社長)は、いささかの躊躇もなく人を酷使する。そして事が起こってから反省する(しない者も多い)。しかししでかしたことを反省するなんて幼稚園児でもできる。いい年こいた大人で、下の人間を監督する立場にいるものだったら、そういった事をしでかしてはいけないのである。起きてしまう前に十分注意して、防止しなければならないのである。

 無論、人間の想像力には限界というものがあるから、すべての危険性を事前に想定することはできない。だが、今回のようなケースは、いままで何度も何度も繰り返してきた事例で、運動部の顧問でなくてもその危険性はだれにでもわかる。それを知っておきながら、意図的に無視して自分の意思を押し通した結果として起きた事件なのだ。

 今回はとりあえず命に関わるようなことはなかったから良かったものの、一歩間違えばそうなっていてもおかしくなかった。そうなれば、顧問は永遠に人殺しとしての十字架を背負い生きていかなければならなくなる。まあ、仮にそうなったとして僕はどうでもいいし、自業自得と思う。しかし、自分もまたそういう危険性とともに生きているのだということは十分に認識しておきたい。

 遅刻しそうなとき、自転車を急いで漕いでいて歩行者にぶつかってしまったら。あるいはそういう物理的なことだけでなく、誰かを精神的にひどく傷つけたり、追い込んだりしてしまって、死へとおいやってしまうこともある。そして、失われた命というのはどれだけ反省しても帰ってはこない。その人から奪った、その先の人生も帰ってこない。取り返しのつかないことなのだ。

 人はだれでも、人殺しになってしまう可能性とともに生きている。殺すまでいかなくても、肉体・精神のべつを問わず致命的な傷を与えてしまうこともある。そういったことは反省して、謝罪してどうにかなることではない。一度やってしまったら、かかわったすべての人の一生に黒いしみをつけることになる。

 用心深すぎるくらいがちょうど良い。たとえ遅刻しそうになっていても、もう少しだけでもスピードを落とそう。たとえイライラして気が立っていても、もう少しだけ人に優しく接しよう。遅刻で叱られたことや、ちょっとしたイライラなんて、一週間も経てば忘れている。でも、誰かを傷つけてしまった経験は、ちょっとやそっとで忘れられるものではないし、忘れるべきものでもないのだ。