私たちは、誰でも必ず「自分らしくいられる場所」へと辿り着ける。ただし、探すことをやめなければ

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ダメ人間だったころの僕

 どこへ行っても長続きしなかった。アルバイトの話だ。スーパーやコンビニエンスストアなどいろいろなところを経験したが、どこでも結果は同じ。長続きしてもせいぜい数ヶ月がいいところで、短い場合は本当に数日で辞めた。

 別に、初っ端から致命的なミスを連発して怒鳴られまくったとか、そういうわけではない。特段ブラックな職場だったわけでもない。ほとんどの職場で、時給などの待遇に不満もなかったし、人間関係が劣悪なところもなかった。

 にもかかわらず、僕はどうしても一つのアルバイト先に長居することができなかった。仕事に慣れるまではバタバタと忙しい日々だから、辞めたいとは思わなかった。久々に働いたときなどはちょっとした充実感を覚えている自分に気が付き、ぞっとしたこともある。だが、仕事に段々慣れてくると、途端に辞めたいという気持ちが湧き上がってきて、それはやがて抑えきれない欲望になった。それで、その次のシフトが確定する前に、辞めたい旨を告げた。最初は、相手の困惑や失望の表情に心が痛んだが、いつしかそういう感覚も薄れていった。

 当時は、自分でも何故一つのところに留まることができないのか、その理由が理解できず、ひたすらに苦しんでいた。ただ、何回もアルバイトを始めては辞め、始めては辞め、を繰り返すという事実だけが両肩に重くのしかかった。辞める回数が増えれば増えるほど悩みは重くなった。それでも、辞めることをやめることはできなかった。

 友人たちからも半ば呆れたような、半ば軽蔑されたような視線を向けられていた。アルバイトを辞めるときは、毎回、またニートに戻るのかとバカにされた。もう一度働き始めたら、「ようやく真人間に戻るんだな、おめでとう」というような生暖かい目で見られた(これは僕の被害妄想)。大学生でアルバイトをしていないというだけでこれなのだから、本物のニートが差し向けられている視線はもっともっと残酷なものなのだろうな、と思い、いつか自分も人々のそういう眼差しに晒されるのだろうかと想像して絶望的な気持ちになったこともある。

 そんなことを繰り返していくうちに、僕はすっかり自信を喪失していった。やがて、いままでの経験が軽いトラウマのようになって、新しくアルバイトを始めることもしなくなった。学校と自宅の往復で日々を過ごしていた。休日はほとんど家から出ることもなく、ひたすら本を読んだり、映画を観たり、インターネットをして時間を食い潰した。

 そんな生活をしていると、次第に鬱々とした気分になってくるものである。僕は自分がひどく無能で無価値な人間のように思えた。朝起きて鏡を見ては死にたくなり(僕は自分の顔を見るのが死ぬほど嫌いなのだ)、日中、学校でキラキラ輝いて楽しそうな大学生たちを見ては死にたくなり、家に帰って部屋を真っ暗にしてインターネットで「死にたい」と検索しては死にたくなる。とにかく希死念慮とともに生きた日々だった。意味もなく泣いてみたりもした。

 自分の人生の来し方には良いことなど何一つもなかったし、行く末には絶望しか広がっていないという気がしていた。そういえば中学生のときの担任に、「お前はニートになりそうだ」というようなことを言われたことがあった。そのときも妙に納得したものだったが、やはり彼の目に狂いはなかったのだろうか。いつしか僕は、いつどこでどのような方法で自殺するかという具体的な計画を練ることを慰めとするようにまでなっていた。(念のため付言しておけば、こういう状態に陥った原因はいま書いていることだけではない。むしろ別のことのほうが僕にとって深刻だったが、それは人様に向かって書くようなことではないので省く。)

「転機」が訪れる

 そんなある日、母親を介して僕にある話がやってきた。僕の母親の友人の娘が、とある文化施設で働いていて、いまそこでアルバイトを探しているとのことだった。そのとき僕はもう1年ほどアルバイトをしておらず、新しくアルバイトを始める勇気は底を尽いていた。しかしながら、僕はその話に乗っかることにした。

 特に勝算があったわけではない。だが、そろそろ何とかしなければ後がなくなるという焦りがあった。あと1年もすれば就活が始まり、そうなるといままでアルバイトをしてこなったことへの言い訳を散々する羽目になる。半端な言い訳では向こうも容赦してはくれまいし、手厳しい言葉を投げつけられることもあるだろう。それはこれまでとは比べ物にならない苦痛になるはずだ。ただでさえ精神をすり減らす就活で、さらにそんな屈辱で追い打ちをかけられたら、僕は本当に死んでしまうかもしれなかった。

 そういうわけで、僕はそのとある文化施設でアルバイトをすることに決めた。といっても、まずは面接をクリアする必要があった。僕はずいぶん久しぶりに履歴書を購入し、書き損じまくって1セット分だめにして、耐え難きを耐え忍び難きを忍んで証明写真を撮影して(僕は自分の顔を見るのが死ぬほど嫌いなのだ)履歴書に貼っつけ、それを封筒に入れてアルバイト先へと向かった。

 いざ面接。館長が直々に出てこられた。僕はその女性を一目見て、只者ではないなと感じた。立ち居振る舞いや目線、表情、話しぶりなどから、並の人間には醸し出すことのできない風格が漂っていた。そして、その眼光からは、どんな一瞬の挙措動作も見逃さないという気迫が伺われた。僕はいっそう気を引き締めて、一つ一つの言葉に気を配り、またはきはきとした発声と、わざとらしくない笑顔を心がけた。

 面接は終始、和やかなムードで進んだ。そして、結果的に、その場で採用されることが決まった。館長は僕にこう語った。「ここでは、スタッフ同士、ボランティアの方々、お客様、みんなと仲良くしなくてはいけない。だからいちばん大事なのは自分から積極的に挨拶をすること、それからその爽やかな笑顔。逆に言えば、それだけできれば十分」。笑顔を爽やかだなどと言われたことは生まれて初めてだった。早速、翌日から来てくれということになり、その日は家へと帰った。

 僕はもともと緊張をしないタチであるから、アルバイト初日も割と気楽なものだった。さすがに久々のアルバイトというだけあって、少しは不安もあったが、アルバイトをするにせよしないにせよ、もうこれで最後にしようという決意があったため、僕の念頭からは、前に進む以外の選択肢は排除されていた。もしここで通用しそうならば、何があっても辞めるまい。逆に、もしここでもだめだったなら、もう諦めて社会不適合者のゴミクズとして開き直って生きていこう。そう思っていた。

そして辿り着いた、「自分らしくいられる場所」

 結果的に、いまこの記事を書いている時点で、新しいアルバイト先で働き出してから2か月ほど経っている。これまでならもう既に辞めたさマックスか、ひどい場合はとっくに辞めてしまっていた。それに比べていまは、まったくもって辞めたいという気持ちが湧いてこない。仕事はほとんど覚えてしまったにもかかわらず、である。むしろ、僕は次のシフトの日が楽しみだとすら感じるときがある。これはいったいどうしたことだろう。

 ひとつには、いまのアルバイト先には「マニュアル」がない、ということがある。僕はこの「マニュアル」というやつが大嫌いなのである。ふつうの人だったら、マニュアルがあることでむしろ安心するのだろうと思う。「〇〇のときは××しなさい」と書いてあれば、何かを自分で判断する必要がなくなる。その通りにしておけば、予想外の出来事すら起こらない限り自分の頭を使う必要がない。

 だが、いまのアルバイト先で働いて気付いたのだが、僕はマニュアルがあるよりないほうがずっとやりやすいのである。もちろん社員さんから口頭で仕事を教わりはしたが、それも教わる人によってやり方が少しずつ異なっていた。だが僕は戸惑ったりせずに、それぞれの気に入ったところを取り入れつつ、また、実際にやってみてお客さんの反応などを観察しながら、自分なりのやり方を見出していった。それは僕にとって楽しい作業だった。いままでの職場では創意工夫というのはほとんど必要とされず、むしろ自分のやりやすいようにしたことで上の人間の機嫌を損ねることすらあった。いまは、それどころか、自分なりのやり方を認めてもらい、褒められることすらある。

 なぜこのような空気がうちの施設にあるのか。それは、館長がそういう哲学の持ち主だからでもあるし、また、いろんな人が働いているから、というのもある。社員さんもいれば、主婦のパートさん、大学生のアルバイトもいて、それからうちの施設には必要不可欠なボランティアの方々がいる。それぞれがそれぞれに、いろんな人生経験を踏まえ、いろんな考え方をもって働いているのがうちの施設である。並の人間なら、そうであればこそ労働者の個性を抑え込み画一化しようとするだろうが、うちの館長はそんな無粋なことはしない。むしろ、そういったバラエティに富む面々の個性を活かし、施設の魅力に変えてしまっているのだ。

 そう、僕が働いている場所は、個性に溢れている。同じサービスであっても、決して「マニュアル」通りの画一化されたやり方ではなく、働く人ひとりひとりの個性が現れている。もちろん、その個性がお客さんとマッチしないこともある。だが、概ねはそういったうちの個性はお客さんに受け容れられているように見える。事実、うちの施設は、他の類似施設に比べてもかなり多い来場者数を誇っている。規模としては類似施設とは比べ物にならないほど小さいにもかかわらず。

 もうひとつ、僕がここでずっと働き続けてもいい、働き続けたいと思える理由がある。それは、お客さんにも個性がある、正確に言えば、お客さんの個性と「出会える」からである。

 というのも、以前、僕はスーパーのレジ打ちをやっていたことがある。そのときは、僕は商品のバーコードを機械に読み取らせ、カゴからカゴへと移して、誰が来ても同じセリフで対応していた。このとき、僕は人間としてのお客さんではなく、モノとしてのお客さんとしか関わっていなかった。バーコードを読み取る商品(モノ)が右から左へと流れていくのと一緒に、右から左へと流れていくただのモノ。スーパーのレジ係にとってお客さんとは、結局それだけのものに過ぎない。いくらチーフがサービスの精神を小うるさく説教したところで無駄である。現実はそうではないのだから。

 それに比べて、いまのアルバイト先では、もちろんほとんどの対応は脳内マニュアル通りに行われるわけだが、それでも、割と頻繁にそこから逸脱したり、あるいは、脳内マニュアルには載っていない対応をしなければならないことがある。たとえば、うちの施設ではちょっとしたワークショップのようなものを行っていて、アルバイトはその講師も担当している。このワークショップでは、受講者によって個性が見えてくる。手先が器用な人、不器用な人、話をよく聞いてくれる人、聴いてくれない人、そして出来上がる作品にももちろん個性が現れる。丁寧な仕上がりの人もいれば、雑な仕上がりの人もいる。センスに溢れる作品を完成させる人もいれば、ちょっとどうかと思う作品を満足げに見せてくる人もいる。

 あるいは、うちの施設ではお客さんとの会話が奨励されていて、スタッフはみんなお客さんに積極的に絡んでいく。展示物について説明するのはもちろん、どこから来たのかとか、観光客ならあそこは行ったのかとか、そういう雑談みたいなこともする。そうすると、当然、もはやスタッフとお客さんであるという以前に、人間と人間の「対話」が行われていることになる。僕はもともと「対話」が好きである。そして「人間」も好きである。スーパーにいたころは、お客さんとは不必要な会話をしてはいけないと釘を刺されていた(僕は仮にスーパーの店員さんに話しかけられても嫌な思いしないけどなあ)。目の前にいるのは「人間」であるはずなのに、「人間」扱いをしてはいけないと「マニュアル」で指示されている。そのあまりに「非人間的」な環境が、僕に居心地の悪さを与えていたのだろうと思う。

 もちろん、労働者の個性を消そうとする職場、客を人間ではなくモノのように扱う職場を否定し、僕は悪くないのだと言いたいわけではない。そういった職場も、現代社会には必要不可欠なのだろうと思う。しかし、あくまでもそこは、僕が「自分らしくいられる場所」ではなかった。これは僕にとってもどうしようもないことである。僕の「自分らしさ」は、僕が好きで選んだものではない。なぜという理由もなく、そのように生まれてしまい、そして20年間それと付き合い続けてきた、良かれ悪しかれ、そういう代物に過ぎない。

 だから僕には、僕の「自分らしさ」を尊重し、それを活かして働く権利がある。そして、そのほうがかえって社会のためにもなる。死んだ魚の目をして、歌う喜びを忘れた鳥の声で、「マニュアル」をインストールされた機械として、モノ同然のお客を右から左へと流していたころの僕よりも、いまの僕のほうが何倍も社会に貢献しているという確信がある。そしてその確信が自信となり、僕はようやく、物心ついたときから憑りつかれていた希死念慮から解放されることができたのである。以前の僕は、たとえどんなことが起こっても、働くことを喜びと感じることなどできないと考えていた。だがいまの僕はこう考える。「自分らしくいられる場所で働くことは、何物にも代えがたい歓びを私たちに与えてくれるのだ」と。

探すことをやめないこと、そして僕のこれからのこと

 「自分らしくいられる場所」へと辿り着いたことで、僕は失われていた(あるいは最初からなかった)自信を取り戻すことができた。それからというもの、様々なことが好転し始めた。

 生まれて初めて彼女もできた。とても可愛くて、優しくて、純粋で、健気で、真面目で、そして心に病を抱えた女の子だ。彼女と出会えたことも、僕にとっては重大な「転機」となった。彼女にとっても、僕と出会えたことが「転機」となってほしいし、そうなるように尽力したいと思っている。

 また、アルバイト先では交友関係が思わぬ方向に広がっている。オランダ人の友達ができて、ぜひ泊まりに来てほしいと言われている。学生バイトの先輩には、京大生で、就活せずに内定を獲得した(インターン先から来てほしいと言われたらしい)というツワモノもいる。また、ボランティアのおじいちゃんおばあちゃんたちには、まるで孫のようにかわいがってもらっている。そうした人々との出会いと、次第に深まる絆もまた、やがて僕にとってかけがえのない財産となっていくだろうと思う。

 そして、これは以前から付き合いのあった人との話だが、大学の英語の先生(ネイティブ)の勧めでカメラを始め、教わっている。中古のフィルムカメラをその人に貸してもらい、散歩をしながらパシャパシャと撮影しまくっている。とても楽しい。世界を見る目が変わったような気がする。何気ない日常の風景を、これまでよりももっと愛せるようになったような。

 その先生は、実はガンを患っている。進行の度合いはわからない(聞けるはずもない)のだが、どうもあまり良くないらしい。僕は、その人のために何ができるのだろうと考える。また、心に病を抱えた彼女のためにも、何ができるのだろうと考える。そして、僕に転機を与えてくれたいまのアルバイト先とそこで働く人たち、さらにはお客さんたちにも、何ができるのだろうと考える。それから絶対に忘れてはいけないのは、生きづらさを抱えながら生きていたころの僕を陰で支えてくれた優しい人たちにも、僕はいったい何ができるのだろうと深く考える。考えて考えて考えて、それでも具体的で明確な答えは一向に出てこない。

 僕のいまの幸せは、充実は、決して僕自身の力で手に入れたものではない。僕がやったことといえば、それは「探すのをやめない」ことだけだ。妥協をせずに、「自分らしくいられる場所」を見つけるまで彷徨い続けた。それ以外は何もしていない。僕の幸せも、充実も、みんなすべて他者が与えてくれたものだ。そういう人たちへの、抱えきれないほどの恩を両腕から零さないようにしながら、僕はこれからいったいどのようにして生きていけばいいのだろうか。どうすれば少しでも恩を返せるのだろうか。

 いまの僕にうっすらと見えている答え、少なくとも答えのようなもの、それは、自分もまたいつか、誰かにとって「転機」となるような出来事や環境を与えてあげられる「他者」となること。自己中心主義から脱却し、自分の人生にとっての「自己」であるだけでなく、誰かの人生にとっての「他者」としても生きることに自覚的であること、だ。それが、決して簡単には返すことのできない恩を与えてくれた、決して忘れてはいけない僕にとっての大切な「他者」たちへの、ひとつの恩返しとなることを、そして、自分がこれからの人生で確かにそれを成し遂げていけることを、いま静かに祈っている。