傷つける人、傷つけられる人

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 世の中には、他人を傷つける人間と、他人に傷つけられる人間がいる。多くの人は、その両面を併せ持っている。他人を傷つける人間であり、また他人に傷つけられる人間でもある。そのときそのときの状況によって傷つける側になったり、傷つけられる側になったりする。

 しかし、稀に、一方的に他人を傷つけ続ける人間もいる。いじめっ子のような存在がそれである。もちろんいじめっ子も、いじめの現場以外では誰かに傷つけられているのかもしれないが、少なくともいじめの現場では、一方的に傷つけ続けるのみである。また、パワハラ上司やDVの加害者などもその類の人間といえる。

 ということは、一方的に他人に傷つけられ続ける人間もいるということである。そういう人は、抵抗の術を持たない、か弱い存在である。だから、一方的に殴られ続けてもやり返すことができず、ただうずくまって、相手の気が済むまで殴られっぱなしになるほかない。そして、そこまでの弱い存在は社会にそうたくさんいるものではないので、ある種の人びとにとっては貴重な存在になる。すなわち、一方的に他人を傷つけ続ける人間である。

 普通の人は、他人を傷つけたり、他人に傷つけられたりしながら生きている。そして、傷つけられれば当然、憤りを覚えるし、また悲しみもする。だが傷つけたときも、後悔したり、反省したりするものである。そのようにして、多くの人はある意味で釣り合いのとれた生活を送る。傷つけることもあるけれど、傷つけられることもある。それは仕方ない。ただ、傷つけられることには怒り、傷つけてしまうことには悔やめば、それでいい。僕はそう思う。

 ところが、一方的に他人を傷つけ続ける人というのは、そんな所業を為すことができるのだから、他人を傷つけることに対する罪悪感はおそらく持ち合わせていないのだと思われる。だからこそ、他人にマウンティングし、何度も何度も打つことができるのである。そうした人間は、他人を傷つけても、決して悔やむことはない。

 そして、一方的に他人に傷つけられ続ける人というのは、傷つけられることに対して怒ることができない。もちろん、内心では激怒しているかもしれないが、それを健全に表明することができないわけである。そこをつけこまれて、また相手にのしかかられて傷だらけにされる。

 このふたつの人間、ふたつの状況は決して許されるべきではない。なぜなら、傷つけられたときは怒り、傷つけてしまったときは悔やまなければならないからだ。この定式がうまく働いていないとき、その人間やその状況は、明らかに不健全である。どうにかして是正しなければ、お互いのために、というか、主に傷つけられる側の人間にとってよろしくない。

 だが、僕のいままでの短い人生でも、このような人間、そして状況を、決して多くはないが、確かに目撃してきた。特に、一方的に他人に傷つけられ続ける人――人生においてずっと他人に傷つけられ続けてきたのだろうと感じさせる「何か」を発している人を、見かけることがあった。そういうとき、僕はとてもいたたまれない気持ちになる。そして、この世界の不条理を、またひとつ発見することになる。

 それはつまりこういうことだ。この世界には、傷つける人間と傷つけられる人間がいる。多くの人はその両面を持ち合わせている。だが、稀に、一方的に傷つけ続ける人間と、一方的に傷つけられ続ける人間がいる。にもかかわらず、傷ついた人間を癒す(ことができる)人間というのは、あまりにも少ないのだ。

 僕は世界が不条理であることをあえて糾弾しようとは思わない。僕もそこまでナイーヴではない。しかし、世界の不条理に加担することは、ゼッタイにゴメンなのだ。

 そもそも、世界それ自体の不条理というのはそこまで多くないのではないだろうか。自然災害などはそうであるが、それは滅多に起きることではない。この世界で、日常的に起き続けている不条理、それはほとんど、私たち人間が生み出しているものなのだ。それを、私たちは、世界のせいにしている。世界に責任を転嫁して、自分たちは知らんぷりを決め込んでいる。

 だから、ひとりひとりの人間が、もっと目の前の不条理に対して自覚的でありさえすれば、この世界の不条理はもっとずっと減るはずなのだ。だから、僕はそのように心がけて生きていきたいと思っている。目の前に不条理が生まれつつあるのならば、少なくとも僕はそれには加担しない、そしてできれば、その不条理が生命を獲得し、ひとりでに人間を苦しめ始める前に、その萌芽の段階で、精いっぱいの力で叩き潰したいのである。

 僕は、他人を傷つけもするし、また他人に傷つけられもする、ただの平凡な、ちっぽけなひとりの人間に過ぎない。しかし、それと同時に、僕は、他人を癒す人間でもありたい。そして、不条理を殺す人間でもありたい。この世界の不条理を、世の中とはそういうものだからという大人ぶった諦念で見過ごしはしない。許されるべきでないことには、許されるべきでないと断固として告げる。そして、許すべきでない人間は、絶対に許さない。それが、人間として生まれた以上、持ち続けたい、尊厳というものだ。

 この世界で私たちを苦しめる不条理と、そしてその不条理を生み出している人間は、ぜひとも覚悟をして待っていてほしい。僕はこのままただでは死んでいかない。必ず、最後の一匹まで叩き潰したことを見届けてから、満たされた心とともにくたばって見せるから。