誇れることなんて何一つない

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 「頭が良いね」とよく言われる。そう言われると僕は反応に困る。嬉しい気持ちもあるが、否定したいとも思う。事実、僕は自分のことを頭が良いと感じたことはあまりない。むしろ、ずっと自分は頭が悪いのではないだろうかという恐れとともに生きてきた。なにせ勉強というものをろくにしたことがない。得意科目は現代文と世界史で、前者は本を読んでいたから、後者は本の中でも特に海外文学を読んでいたから、勉強するまでもなく得意だったというだけで、理科系の科目、特に数学となると本当にただのうすのろだった。

 しかしどういうわけか、多くの人は僕に「頭が良いね」と言う。親にも言われたことがあるし、友人にも、先生にも、その日会ったばかりの人にも何度も言われた。ということは、ある程度、真実なのだろうと思う。少なくとも、日常生活においては、知性を感じられるような言動をしているのだろう。

 だが、たとえ僕の頭が良いことが真実だったとして、それを誇ろうとは一切思わないし、誇ってはいけないことだと思っている。なぜなら、仮に僕の頭が良かったとして、それは僕の功績ではないからだ。たまたま、頭が良く生まれてきただけのことだ。あるいは両親のおかげと言うこともできるかもしれないが、両親にしたところで、そのまた両親つまりは僕の祖父母のおかげということになり、祖父母はまた曾祖父母の……と永遠に遡っていくことができる。だから、これは誰のおかげでもない恩恵であって、強いて言えば、神に感謝するしかない事柄なのだ。

 ところで、僕は、容姿が良いのを鼻にかけているやつが大嫌いだ。理由は、僕の顔が醜いので嫉妬するという単純なものだ。だが、美男美女というのもまた、たまたまそう生まれてきたというだけのことなのだ。それなのに、あまりにもチヤホヤされすぎるものだから、ほとんど一人残らず勘違いをする。自分は賞賛に値する人間なのだと。そういう勘違いをする人間は毎日必ず一回タンスの角で小指をぶつければいいのである。だから、僕は人の容姿というのは何が何でも褒めないようにしている。それは相手にとっても失礼になると思うからだ。他に褒めるところがないと表明しているようではないか。本当に他に褒めるところがない空っぽの人間だったら、遠慮なく容姿を褒めてやれば良いのだが。

 事情は結局、知性においても同じである。知性の場合、美貌よりは他人から持て囃されることは少ないように思うが(兼ね備えていた場合はとんでもないことになる)、それでもやはり知性が低い人間よりは高い人間のほうが評価を受けやすいことに違いはない。しかし、それを鼻にかけるような人間を僕は軽蔑する。自分がたまたまそう生まれついたというだけのことを、どうしてそこまで自慢に思うことができるのか、不思議なほど憎たらしい人間というのが、多すぎる。

 では、自分の努力で獲得した功績ならば誇って良いのか。原理的にはそういうことになる。だが、一体どこからが「自分の努力で」獲得したと言って良い功績になるのだろうか。その線引きは、意外なほどに難しいのではないだろうか。僕に限って言えば、非常に困難なことに思える。たとえば、僕は成績優秀者として大学から表彰され、またしても「頭が良いね」と言われることになったのだが、これは「自分の努力で」勝ち取った成果だろうか。

 僕はそうは思わない。その成果の背景には、まず両親の全面的なバックアップ、それから友人たちの精神的な支え、学びたいと思わせる授業を展開してくれる先生たち、学びの環境を整えてくれる大学職員の人たち、などなど、数えきれない人たちの計り知れない支援が隠れているからである。それらの土台がなければ、僕は何ひとつ為し得なかった。努力をすることすら、できなかったのである。

 だとすれば、成績優秀者として表彰されたことを僕が誇りに思うのは、どこか不穏当なことだと言わざるを得ない。むしろ各方面に対して感謝するべきことなのだ。感謝して、より一層、奮励努力して、いつかその成果で少しでも恩返しをしていくべきことなのだ。僕はこのように考える。そして、この考え方が、僕はとても好きだ。

 そのように厳密に考えていけば、僕は、自分には誇れることなんて何一つないという事実に気がつく。しかし、それで一向に構わない。僕は、僕自身の努力だけでは何一つ成し遂げたことがないし、またこれからも何一つ成し遂げられないだろうということを知っている。だから、僕は何一つ誇ろうとは思わない。誇ることはできない。

 だが、そのような信念を持つことで、一つだけ、これは誇っても良いのではないかということを持てるようになる。それは他でもない、何一つ誇りにしようとは思わないという信念、そのものである。僕はその信念だけを自らの誇りにして、あくまでも謙虚に、慎ましく生きていきたいと切に願っている。