もういちど、夢を見よう

f:id:beethoven32111:20180224021319j:plain

 僕の夢はピアニストだった。いや、こう言うと語弊がある。まるでピアニストになるために十何年も努力し続けてきたが結局諦めた人のようだ。実際は違う。僕はピアニストを目指して本格的にレッスンを受けたことなど一度もない。ただ姉の影響で5歳からピアノを始め、引っ越しをする10歳まで惰性で続けたに過ぎない。その間、ピアノを好きになることはついぞなかったし、そもそも音楽自体にほとんど興味がなかった。

 そんな僕だったが、中学3年生のときに音楽と恋に落ちた。本当にそうとしか言いようがない。誰に言われるでもなく、その場の思いつきでクラシック音楽を聴いてみたのだ。インターネットでクラシック音楽と検索し、最初に再生したのがドヴォルザーク交響曲第9番第3楽章だった。出会いについてはまた詳しく書くつもりだが、そのときから僕の人生の半分はクラシック音楽に捧げられるようになった。

www.youtube.com

 そして、確か高校2年生くらいのころだったと思うが、それまで好きではなかったピアノ音楽に急激にはまりだした。きっかけとなった曲はベートーヴェンのピアノ・ソナタ第32番。この曲はいまだに僕にとってのベストである。クラシック音楽にとどまらず、この世に存在するありとあらゆる被造物のなかでのベストである。ベートーヴェンが私たち人類に遺してくれた最も崇高にして最も壮大な財産と言っても良い(いや、それはやっぱり交響曲第9番か……)。まあ、いずれにせよ、そこから僕はピアノ音楽ばかりを聴くようになった。CDでも、実演でも。

www.youtube.com

 しかし、自分でもピアノを弾こうとはなかなか思わなかった。当然といえば当然である。いくら小さいころに習っていたとはいえ、当時はほとんど練習していなかったうえに、あまりにもブランクが長い。いまさら始めたところでクラシックの曲など弾けるはずもない。そう思って僕はずっと聴くだけにとどまっていた。というより、とどめていた。内心では、自分でも弾いてみたくて仕方がなかった。ピアニストが演奏している映像を見るたびに、自分でもこんなふうに弾ければどんなに楽しいだろうかと想像した。そして、真剣に練習していなかった過去の自分を、引っ越し先でピアノを続けようとしなかった過去の自分を恨んだ。たとえ惰性でもずっと続けていれば、それなりには弾けていたかもしれないのに、と。

 いま思えばそうして過去の自分を恨んでいる間に、もういちどピアノを始めれば良かったのだ。そうすれば、いまの僕はもっとピアノが上達していたはずだ。何かを始めるのに遅すぎるということはない、というけれど、そのまったく逆だ。何かを始めるにはいつだって遅すぎる。だからこそ、「いま」やらなければならない。そのことに当時の僕は気づかなかった。過去の自分を恨み、そして他人を羨み、時間を浪費していた。僕は友だちによく言ったものだった。自分は生まれ変わったらピアニストになりたい。もし一つだけ何でも願いが叶うなら、世界一ピアノが上手くなりたい。

 そうこうしているうちに僕は大学生になった。かねてから、大学生になったら暇になるのだから何か新しいことでもやろうと考えていた。そして自然な流れとして、僕はピアノを再開した。正直に言って不安しかなかった。自信など一切なかった。もともと僕は新しいことを始めることをひどくためらう人間である。そのうえ、ピアノである。もし地道に練習してもうまくなれなかったらどうしよう。大学生活4年間をハノンやチェルニーに捧げるのは御免だ。そんなふうに思っていた。

 ところが予想に反して、僕はそれなりに弾けるようになった。もちろん上達には時間がかかった。ゆっくりとした歩みでたったひとつの作品に執念深く取り組み続けた。そして、1年とちょっと練習したのち、発表会でベートーヴェンのピアノ・ソナタ第8番「悲愴」から第1楽章と第2楽章を弾かせていただいた。残念ながらノーミスの演奏とはいかなかった。何度か弾き直しもした。しかし、ずっと敬愛し続けたベートーヴェンのピアノ・ソナタを、コンサートホールで、スタインウェイで、他でもない自分が演奏するなど夢にも思っていなかった。本当に夢のような時間だった。

 だが僕は発表会が終わったすぐあと、またピアノをやめてしまった。明確な理由があったわけではない。いろんな出来事が一気に僕の身に降り掛かった結果、様々な感情が複雑に絡み合って、人生で未だかつてないほど落ち込んでしまった。実際のところ、ピアノだけでなくありとあらゆることをやめた。読書もしなくなり、映画も見なくなった。あれほど聴き続けてきた音楽も、まったくもって僕の心を慰めなかった。むしろ耳障りだと感じるようになった。それを悲しいとは思ったけれど、どうしようもなかった。

 ピアノに対して考えていたことは、こんなことをやっていてもいいのだろうか、ということだ。大学生活4年間はあっという間に過ぎ去る。そして待ち構えているのは就職活動と、その後の長い就労生活だ。就活のために何かもっと有意義なことに時間を使わなくてはいけないのではないか。いまピアノを練習して上達したとしても、どうせ就職したら時間がなくなって弾けなくなり、いずれ元通りになってしまうだろう。そんな考えが僕の思考を支配して、ピアノに向かう気力を失わせた。そして、先生にしばらく休みますと連絡して、レッスンに通うのをやめた。

f:id:beethoven32111:20180224031252j:plain

 それから、やめるかやないかの決断をつけないまま、みるみるうちに時間が溶けていった。先生に連絡してからもう半年になってしまった。その半年間、僕は何もしなかった。ただ最低限行かなければならない場所に行き、最低限やらなければならないことをした。ピアノの代わりにやろうと思っていた、「就活のための有意義なこと」は何ひとつしなかった。後悔がさらに僕の肩に重くのしかかって、どんどんと再起不能にさせた。気分が最も酷かったときは、一日じゅう真っ暗な部屋に引きこもって死ぬことだけを考えていた。

 いまとなってはもう遅いが、この半年間ピアノを続けていれば、きっと以前の何倍もうまくなっていたはずである。1年以上かけて大作を仕上げ、ちょうど波に乗っていたときだったのだ。そのまま行けばきっとずっと遠くまで行けた。なのに僕はまたしても諦めてしまった。僕の人生は本当にこれの繰り返しだ。いまから始めるには遅いと嘆き、もっと早く始めればよかったと嘆く。失敗と後悔の積み重ね。

 もうそろそろ立ち上がらなければならない。あまりにも長く倒れたままでいすぎた。このままでは倒れた状態が自然になり、二度と立ち上がれなくなってしまう。そしてそのまま地面にずんずんと埋もれていき、葬られてしまう。ちょっと前の僕ならむしろそうなってほしいと思っていた。だが、僕は、もういちど夢を見ようと思う。僕の人生はとにかくクソッタレな出来事ばかりだ。本当に、何度生まれてこなければよかったと思ったか分かりやしない。それでも、生まれてきたからにはきっと何かできるはずだ。もういちど信じてみようと思う。長い眠りから目を覚まして、もういちど夢を見ようと思う。だからどうか、世界も僕を信じてほしい。いつか世界に夢を見せられる人間になってみせるから。