コンサートにまつわる悲しい思い出

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シカゴ交響楽団

 クラシックのコンサートに行くことは僕の人生における最も大きな喜びのひとつである。行きたい公演を探し、チケットを購入し、ワクワクした気持ちで当日を待ち、コンサートホールに向かいながら気分を高揚させ、ホールに入って自分の席を見つけて着席し、オーケストラが登場するのを待つ。団員たちが次々と楽器を持って舞台に現れ、最後に指揮者がやってきて聴衆が拍手で迎える。拍手がやんで、一瞬の静寂が訪れる。指揮棒が小さく振り上げられ、ホール全体に緊張感が満ちる。そして指揮棒が振り下ろされると同時に最初の一音が鳴り響き、数千人の聴衆は一斉に魔法にかけられる。夢のような時間の始まりである。

 しかし、年に何回もコンサートに行く生活を続けていると、嬉しいことばかりではなく悲しいことも起きる。今回は、僕の人生におけるコンサートにまつわる悲しい思い出を紹介したいと思う。

友達が待ち合わせに遅刻する

 あるとき、僕は年末の「第九」コンサートに友達を誘った。普段はクラシックを聴かない彼だったが、「第九」は知っていたようで承諾してくれた。しかし、当日、待ち合わせの数十分前になって、「財布を忘れたから取りに帰る」という連絡がきた。お金は貸してあげるから取りに帰らなくても良いと返信したが、時すでに遅しだった。急いでホールへ向かったものの、開演時間を十分ほど過ぎてしまっていた。休憩がある公演であれば途中入場ができたが、その公演は休憩がなかったので無理だった。仕方がないので、とぼとぼと家に帰った。あとから分かったことだが、チケットはあらかじめ購入してあるということを彼は知らなかったらしい。だから、数千円もするチケット代を借りるわけにはいかないということで帰ったのだという。「第九」コンサートに行くのは僕の年末の恒例行事なのだが、この年は「第九」なしで年を越すことになった。悔し紛れに家で「第九」のCDは聞いたものの、悲しさばかりが増すだけだった。

数日前から急に咳が出始める

 地元のオーケストラが、ブラームス交響曲第4番を演奏する。この曲が大好きで前々から生で聴きたいと思っていた僕は、すぐにチケットを取った。3か月間、ずっと楽しみにして、いろんな指揮者、いろんな楽団の演奏を聴いて期待感を高めた。しかしながら、いよいよコンサートの数日前になって、急に咳がゴホゴホと出始めた。それも1時間に数回とかではなく、1分に数回というレベルである。さらに、痰が絡まったような不快な音がする席だった。コンサートまでまだ時間があるからきっと治るだろうと思っていたが、結局、当日になってもちっとも治まらない。どうしようかと本当に悩んだが、コンサートに行くたびにマナーの悪い客に腹を立てていた僕としては、周りの迷惑を考えずに行くという選択肢は絶対にとれなかった。そういうわけで、泣く泣くチケットはゴミ箱行きとなった。

コンサート中にインフルエンザを発症する

 先ほどの一件で体調管理の重要性を思い知らされた僕だったが、その1年後くらいに再び悪夢を見ることになる。しかも今度は咳どころでは済まなかったし、挙句の果てにコンサート数日前ではなくコンサート中に起こったのである。それはとある小さなホールで海外から来たピアニストの演奏を聴いているときだった。結構盛りだくさんなコンサートで、1時間半かそれ以上くらいあったと思う。数曲を聴き終えて、どうも今日は音楽に集中できないなぁと思っていると、段々と体がだるくなってきて、しまいには熱っぽくなって頭がぼんやりとしてくる。このときはホールが暑いせいかもしれないなどと呑気なものだったが、家まで帰っているうちにどんどん悪化して、帰宅するやいなや倒れるように眠った。翌日、病院に行くと、なんと、物の見事にインフルエンザだったのである。まさか、コンサート鑑賞中にインフルエンザを発症するとは。あのとき同じホールにいた聴衆の方々とピアニストが僕のせいで感染しなかったことを祈る。確か、両隣には誰もいなかったはずなんだけど。

交通不良で2万2,000円のチケットが紙屑になる

 さて、これまでは概ね自己責任で起こった悲しい思い出であった。しかしこればっかりは僕にもどうしようもなかったという事例も紹介したい。去年のことである。大学の夏休みに、ずっと行ってみたいと思っていた、長野で開催されるサイトウ・キネン・フェスティバルという音楽祭に行こうと思った僕は、奮発して2万2,000円のS席のチケットを買い求めた。決して安い金額ではなかったが、曲目が大好きなマーラー交響曲第9番で、しかもオーケストラは日本最高峰のサイトウ・キネン・オーケストラということで思い切ってS席にしたのである。ついでに長野観光もしようと意気込んでいた。交通費を節約するために青春18きっぷで行くことにした僕は、前日に岐阜にいる友達の家に泊まり、翌日に長野へと行くことにしていた。前日の夜、岐阜は土砂降りの雨で、記録的短時間大雨情報がテレビで流れていた。そのときは特に気も留めていなかった。しかし翌日、乗り換え駅の名古屋に着くと、大雨の影響で電車がストップしていて、再開の目途は立っていないということだった。僕はその場にへたりこんだ。結局、2時間くらい待ったが運行が再開されることはなかった。仕方なく、僕はサイトウ・キネン・オーケストラマーラー交響曲第9番も長野観光もすべて諦めて、家へと帰った。

それでも僕はコンサートへ行くことをやめない

 いかがだっただろうか。どれもこれも僕にとっては決して忘れられない、悲しい思い出である。コンサートというのは、どれも一回限りの貴重な体験である。特にクラシックだと、そのとき聞き逃したら次いつ聞くことができるか分からない曲や演奏者がたくさんある。めったに演奏されない曲や、めったに来日しないオーケストラ・ソリストだったら、あるいは、めったに来日しないオーケストラ・ソリストによる、めったに演奏されない曲のコンサートだったら、数千円、数万円のお金が無駄になるだけでなく、人生における二度とない体験の損失なのである。

 正直、特に最後のサイトウ・キネン・フェスティバルに行きそびれた体験は僕にとってあまりにもショックだった。帰ってきた翌日は丸一日布団から出られなかったし、その後1週間は何にもやる気が起きなかった。ちなみにコンサート中にインフルエンザを発症したときは丸一週間布団から出られなかった(当たり前である)。

 それでも、僕は決してコンサートへ行くことをやめない。コンサートホールで数千人の人びとと音楽を、感動を共有するという体験がそれだけ素晴らしいものだからだ。コンサートに行けなくなるくらいなら僕は、お金が無駄になろうが、友達が遅刻しようが、咳が止まらなくなろうが、インフルエンザに罹ろうが、電車がストップしようが、一向に構わない。次に行くコンサートはそんな悲しい体験を打ち消してくれるほど感動的なものかもしれないからだ。