ありきたりの謎に満ちた人生――ジョン・ウィリアムズ『ストーナー』

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ミズーリ大学

 ミステリー小説は謎に満ちている。むしろ謎が主人公の物語と言っても良い。とはいえ、ミステリー小説における謎はすべて解決される。それがお約束である。謎を解決せずに放ったらかして完結するミステリー小説は、よほどのことがない限り高い評価を受けることがない。そして、ミステリー小説が面白いのも、謎がすべてきちんと解決されるからだ。序盤で数々の謎が登場し、読者はモヤモヤとした気持ちと解決への期待感を高められる。そして終盤ですべての謎が次々と解かれていくことで、読者はカタルシスを得る(スッキリする)ことができる。

 私たちはなぜミステリー小説にこれほどまでに惹きつけられるのだろうか。思うに、それは、私たちの人生もミステリー小説と同様に謎に満ち満ちているにもかかわらず、そのほとんどは完全に解決されることなく、曖昧なままやり過ごしていくほかないからではないだろうか。なぜあのときもっと勇気を出せなかったのだろうか? なぜあの人にもっと優しくできなかったのだろうか? なぜあの人は私の一言であれほど傷ついたのだろうか? なぜ私はあの人のことが好きになったのか? なぜあの人は私のことを嫌っていたのだろうか? あの人はなぜ私にあんなことを言ったのだろうか? そして、自分はどこから来たのか、自分は何者か、自分はどこへ行くのか? どれもこれもありきたりな、人類が何百年にもわたって直面してきた謎ばかりだが、いまだにそれらの解を求める方程式は確立されていない。

 どれだけ分かりやすい答えを求めても、絶対的な正解は決して与えられることはない。どうやら答えらしきものをなんとか探り出して、それで自分を納得させて生きていく。恐らくそれが私たちに唯一できることなのだろう。もちろん、答えを見つけようとする姿勢を崩さないことは大事である。しかし、明確で唯一の答えがなければ我慢できないようでは、生きていくのは難しい。それほどに私たちの人生は謎が多い。

 アメリカの作家ジョン・ウィリアムズが1965年に著した小説『ストーナー』の主人公、ウィリアム・ストーナーが歩むのもまさにありきたりの謎に満ちた人生である。それは驚くほど平凡であり淡々としている。田舎に生まれた朴訥な男が、大学へ行き、文学と出会い、教師になり、結婚し、子を持ち、本を出して、そして死ぬ。ただそれだけの物語である。劇的な出来事は何ひとつ起こらない。その代わり、私たちの人生にも降りかかる、面倒で、厄介な、辛気くさい、日常の些事の数々が、脚色されることなく描かれる。読んでいて気が滅入ってしまうほどである。

 ウィリアム・ストーナーは、1891年に小さな農村に生まれる。両親は農業に従事しており、ウィリアムはごく幼いころから両親の手伝いをしていた。高校を卒業したら当然そのまま両親の仕事を継ぐはずだったが、ミズーリ大学に新設される農学部から招きを受ける。両親からすれば貴重な働き手が失われるのだからあまり喜ばしいことではないはずだったが、父親はウィリアムに進学することを勧める。

「『わしは人に言うほどの教育を受けてない』自分の手を見ながら言う。『小学校を出るとすぐ、農場で働き始めた。わしの若いころは、教育なんて大事じゃなかった。だが、今はどうかな。毎年毎年、土地は乾いて、鍬が入りにくくなってきてる。もう、わしの子ども時代みたいな肥えた土じゃない。農事顧問殿の話では、郡には新しい考え、郡なりのやりかたというものがあって、それを大学で教えるということらしい。いいことかもしれん。わしもときどき、畑仕事をしながら、考えることがある』息をついて、十本の指に力を込め、固く握り合わせた両手をテーブルに下ろした。『わしが考えるのは――』その両手をにらみつけて、首を左右に振る。『お前はこの秋、大学に入れ。母さんとふたり、なんとかやっていく』父がこれほど長く弁舌を振るうのを、ウィリアムは今まで聞いたことがなかった。」(p.6)

  父親が畑仕事をしながら考えていたことは何だったのか。なぜ大事な一人息子を大学へ入らせることに決意したのか。息子が大学で学んだことがこれからの自分たちの稼業の役に立つと考えたからだろうか。それとも自分が人に言うほどの教育を受けていなかったことについて何かしら思うところがあったのだろうか。息子にはきちんとした教育を受けさせてやりたいという父親らしい願いがあったのだろうか。それはウィリアムにも、読者にも分からない。しかし、この静かな決断がウィリアムの後の人生を決定づけることになる。

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 大学2年生の第1期、ストーナーは全学生の必須教養科目として「英文学概論」を履修する。講義を担当するのはアーチャー・スローンという五十代前半の中年男。極めて博学だが尊大で皮肉っぽいのでほとんどの学生からは恐れられ、嫌われている。そしてストーナーはこの講義であるものとの運命的な出会いを経験する。そう、文学である。アーチャー・スローンという男の超然とした雰囲気に不思議と惹きつけらていたストーナーは、ある日の授業で彼からシェイクスピアソネットについて発言を求められる。

「『シェイクスピア氏が三百年の時を越えて、きみに語りかけているのだよ、ストーナー君。聞こえるかね?』(中略)『氏はきみになんと言っているかね、ストーナー君? 氏のソネットは何を意味するのだろう?』ストーナーはゆっくりと、大儀そうに目を上げた。『これが意味するのは』と言って、両手を小さく宙に浮かせる。アーチャー・スローンの姿をとらえようとして、視界がどんより曇るのがわかった。『これが意味するのは』ともう一度言い、そのあとを続けることができなかった。スローンがけげんな目で見た。そのあと、やにわにうなずいて、『本日はこれにて終了』と言うと、誰のほうも見ず背を向け、教室から出ていく。」(p.15)

 この文学との運命的な出会いをきっかけにして、彼は両親にも相談することなく農学部のカリキュラムから離脱し、文学部へと移籍する。このとき、彼の身に何が起こったのだろうか? それはきっと言葉で説明できることではないのだろう。人生を一変させる出来事であったにもかかわらず。しかし、読者である私たちは、彼の身に起こった出来事を説明することはできなくとも、理解することはできるはずである。同じような経験をしたことがある人は、きっとたくさんいる。

 学部生の4年間を終えたストーナーは、アーチャー・スローンから大学に残って研究を続けないかという誘いを受ける。何を言っているのか分からないと困惑するストーナーに対してスローンはこう言った。「恋だよ、ストーナー君」「きみは恋をしているのだよ。単純な話だ」。ストーナーの大学に残るという決意を聞かされた両親は悲しみ、動揺した。母親が涙をながすのを見て彼は強い自責の念に駆られた。しかし決断を覆すことはできなかった。

 ストーナーが学士号を取得した2週間後に、第1次世界対戦が勃発した。彼の周囲の人間は次々と志願して軍隊へと入っていった。彼が親しくしていた二人の同僚も大学を去っていった。周囲からの無言の圧力があったにもかかわらず、ストーナーは志願することを拒否し、徴兵の知らせに対しても猶予願いを出した。彼自身は何の後ろめたさも感じなかったが、周囲の視線は冷ややかだった。同僚のひとりから何が決め手となって行かないという決断をしたのかと聞かれて、彼は当惑する。

ストーナーはすぐには答えを返せなかった。この二日間の、終わりもなく意味もない無言の葛藤を思った。この七年間の大学生活のことを思った。それ以前の、農場で両親と過ごした遠い年月のことを、そして、奇跡的な再生の起点となった仮死の日々のことを思った。『わからないな』ようやく言った。『何もかもが決め手だったと思う。言葉にできない』」(p.43)

  同時代の多くの人間の身に降り掛かった惨劇に瀕しても、ストーナーの心は曖昧模糊としている。周囲の期待を裏切る自分の決断の決め手を、彼は答えることができない。だがそれは彼の不誠実さを示しているのではなく、むしろ誠実さの何よりもの証左だろう。その決断が重要であればあるほど、何が決め手であったかなどと限定することはできなくなるのではないだろうか。自分が生まれてからその時まで経験したことのすべて、「何もかもが決め手」となる。そうとしか言いようがない。彼の言葉は、人間は自分の意志を自分で決定しそしてその理由も明快に説明できるという神話のカーテンを切り裂き、図らずも真理を剥き出しにしている。私たちの人生が謎に満ちているように、私たち自身も謎だらけなのだ。

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ポール・ゴーギャン『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』

 戦争が終わってからしばらくして、ストーナーはイーディス・エレイン・ボストウィックという女性と出会う。イーディスはストーナーとは正反対の、上流階級に生まれた、いわゆる「良家の子女」である。幼いころから高等な教育を授けられ、文化芸術にも広く通じ、女性としての道徳、生き方、考え方を骨の髄まで叩き込まれて育った。「イーディスは、自分が将来、夫と家族に対する義務を負うことと、その義務を果たさなくてはならないことを学んだ」(p.62)。ある夜、彼女の家から去っていこうとするストーナーを彼女は引き止め、自らが歩んだ半生を滔々と語る。

「十三歳のとき、イーディスは通常の第二次性徴を迎えた。通常ではない体の変化も合った。数カ月のあいだに一フィート近く背が伸びて、大人の男に近い身長になった。そして、その不格好な体形と新たな御しがたい性的成熟の二重苦から、完全には立ち直れなかった。この変化が生来の内気さを助長した。学校の同級生たちと疎遠になり、家には話し相手がなく、しだいしだいに自分の殻に閉じこもっていった。その殻に、今、ウィリアム・ストーナーが踏み入ってきた。そして、イーディスの中の何か思いがけないもの、直感のようなものが、部屋を去りかけたストーナーを呼び戻し、イーディス自身に早口の捨て身の物語を語らせた。今まで一度も語ったことのない物語、これからも二度と語ることのない物語を。」(p.64)

 読んでいてこれほど胸が締め付けられる文章も珍しい。思春期というのは人生において最も謎が多い時期と言っても過言ではないだろう。そして思春期の青少年にとってそれらの謎はあまりにも耐え難い苦痛となってのしかかるものである。自分の身体に、自分の心に、いったい何が起こっているのか。誰も答えを教えてくれることのないまま懊悩し、やがて内へ内へと沈潜していく。そして一生そこから完全には抜け出すことのできない者もいる。イーディスはそういう者のひとりだった。何が自分の欲望で、何が他者の欲望なのか、彼女のなかでは両者が渾然一体となって渦巻き、自分という存在をコントロールする術を完全に喪失した。

 ストーナーは、彼女の語った物語を「一種の告白」であると解し、「救いを希う声」を「心に感じ、受け止めた」。しかしながら、それが本当に「救いを希う声」だったのか。仮にそうであったとして、その声はストーナーに向けられるべきものだったのか。ストーナーはやがて懐疑の念を抱くようになる。娘の誕生とともに、イーディスが豹変したからである。彼女は娘のグレースを完全に自分の手中に収めようとあの手この手で画策した。まるで自分が受けた堅苦しい教育をそっくりそのまま模倣したかのように。ピアノを習わせ、礼儀作法を叩き込み、同級生と遊ぶことを制限した。そして何よりも、グレースから父親を遠ざけようとした。ストーナーがグレースの教育に口を出そうものなら、ヒステリーを起こして彼を非難した。ストーナーはどうすることもできずただただ疲弊した。仕方なく、仕事に没頭するようになった。

 イーディスの豹変はいったい何だったのか? それも最後まで解明されることのない謎のひとつだ。人間は自分が受けた教育を自分の子どもにも施す。たとえそれが虐待に等しいものであっても。という一般論の言うとおりなのだろうか。そうかもしれない。しかしその内奥にはもっと混沌とした不分明な感情が存在したのだろう。両親への復讐か、それとも夫への復讐か。その両方か。

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 愛する娘との時間を諦め、仕事に没頭することにしたストーナーだったが、しばらくは順調に行っていた仕事にも、新たな同僚、ホリス・ローマックスの赴任とともに不穏な陰が差し始める。ローマックスは身体に障害のある男で、常に右脚を引きずるようにして歩いている。ストーナーは彼に好感を抱き、彼のほうも最初は親しげに接してきた。しかしあるときを境に急にストーナーに対して敵意を向けてくるようになる。ローマックスのことを慕っている学生をストーナーのゼミに送り込み、身勝手な行動をさせて撹乱させる。学問に対しては極めて厳格なストーナーはその学生を決して許すことができず、ローマックスに苦情を申し立てる。それに対してローマックスは学生を擁護し、逆にストーナーを批判する。その学生は身体に障害を抱え、常に左脚を引きずるようにして歩いている。そのような同情すべき学生を陥れようとするのは非道な行いだ、と言うのである。

「『(前略)優秀なひとりの学生が、想像力が豊かすぎるというただひとつの落ち度ゆえに、熱心すぎ、誠実すぎる言動できみの要らざる不興を買ってしまった。ついでに、これはぜひ付言しておきたいが、その学生には不幸な身体上の瑕疵があって、心ある人間なら、同情心をそそられてしかるべきところだろう』自由がきくほうの右手に、ローマックスは鉛筆を持ち、その手が体の前で震えていた。壮絶なほどの、近寄りがたいほどの真剣みが伝わってきて、ストーナーは恐怖に近いものを感じた。『そうだ』ローマックスが熱を込めて言う。『だから、わたしはきみを許すわけにはいかない』」(p.207)

 ストーナーにとっても読者にとっても、ローマックスの行動の根底にある感情は容易に推測できる。しかし、どうしてそれを白日のもとに晒すことができるだろうか。あなたは自分の障害に対する歪んだ劣等コンプレックスから私を貶めようとしているのだろう、などと問い糺すことなどできないし、するべきでもないはずだ。障害に関してローマックスには何の罪もない。そして彼自身に責めはないその瑕疵のせいで彼が味わってきた屈辱はきっと計り知れない。それはストーナーにも分かっていたはずである。だからこそストーナーはそれ以上追求できなかった。ローマックスが悪いと言い切ってしまうことはできない。もちろんストーナーも悪くない。ただ不幸にしてその出来事は起きてしまった。

 そしてローマックスによる妨害はストーナーの教職人生を台無しにしてしまう。ストーナーのそれまで順調だったキャリアは、英文科主任にまで昇進したローマックスの工作によって助教授でストップしてしまう。さらに、それまでストーナーが意欲を持って取り組み楽しんでいた講義の担当から外し、退屈な語学の講義を押し付ける。ストーナーは、職業生活という最後の希望すらも奪われてしまった。

 ストーナーの晩年は実に悲惨なものになった。ガンに冒された彼は大学を早期に退職した。結局、ローマックスと和解することはなかった。敗北を認めざるを得なかった。娘のイーディスは早々と結婚して子どもを産んだものの、夫は第二次世界大戦で戦死してしまう。そのショックから彼女はアルコールに溺れるようになる。やがて娘の酒量がどんどんと増えていくであろうことを予想しながらも、ストーナーはそのことをむしろ喜びさえする。飲酒という手段で辛い人生をやり過ごしていけるからだ。日に日に弱っていく身体と意識のなかで彼は自分の人生を回顧する。

「冷徹に、理詰めに、ストーナーははた目に挫折と映るはずの自分の来し方を振り返った。ストーナーは友情を求めた。自分を人類の一員たらしめてくれる篤い友情を。そして友をふたり得て、ひとりは世に知られることもなく非業の死を遂げ、ひとりは遠い生者の戦列へと撤退していった……。ストーナーは二心のない誠意と変わらぬ情熱を捧げる結婚を望み、それも手に入れたが、御しかたがわからず持て余しているうちに、それは潰え去った。(中略)そして、ストーナーは教師であることを求め、その願いをかなえたものの、人生のあらかた、自分が凡庸な教師だったことに思い至って、それはまた、前々からわかっていたことでもあるような気がした。高潔にして、一点の曇りもない純粋な生き方を夢見ていたが、得られたのは妥協と雑多な些事に煩わされる日常だけだった。知恵を授かりながら、長い年月の果てに、それはすっかり涸れてしまった。ほかには、とストーナーは自問した。ほかには何があった? 自分は何を期待していたのだろう?」(p.324)

  しかしストーナーは、自分の苦難と蹉跌の連続だった人生に対して不平を述べることはない。そもそも彼は、人生を成功への輝かしい道とは捉えていなかったからだ。それは決して解決されることのない謎を抱えたまま、自分がどこへ向かおうとしているのかも分からないまま手探りで歩き続ける、深い霧に充ちた暗い森の中の道だった。

「『かわいそうなお父様』というグレースの嘆きが、ストーナーを現実に引き戻した。『お気の毒に、いつもいつもおつらいことばかりだったんでしょう』しばし考え込んでから、ストーナーは言った。『ああ、安楽な人生ではなかった。だが楽をしたいと思ったことはない』」(p.318)

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 後悔のない人生を送りたいという願望を持つ人は少なくない。だが、ありきたりの、しかし永遠に解明されることのない謎に満ち溢れた、むしろ謎そのものの人生を、後悔なしに生きて、そして死ぬことなどできはしない。だとしたら、謎は謎のままで、謎を抱きしめて生きていくほかない。この『ストーナー』という小説は、ごく平凡な人間の、ありきたりの謎に満ちた人生がどれほど美しく愛おしいものであるかを教えてくれる。本来、文学とはそういうものであるべきだと僕は思う。だから、僕にとってこの小説は文学のひとつの理想形であり、今まで出会った小説のなかで最も愛する作品のひとつである。いつかこの世の中で最も愛する人に出会ったら、僕はこの小説を贈りたいと思っている。

「柔らかさがストーナーを包み、四肢にけだるさが忍び込んでくる。ふいに、自分が何者であるかを覚り、その力を感じた。わたしはわたしだ。自分がどういう人間であったかがわかった。」(p.326)

ストーナー

ストーナー